20 July 2012

Pacific - Barnoon Hill





OZでもこっそりかけたPacific。


先日のTrixie's Big Red Motorbikeの大阪公演は大盛況だったようで、Twitterであさみさんやさとみさん達が「大阪のインディーシーンの一体感」とか「イベントをやる側とお客さんの楽しみ方」等々、皆さん言及されていて仕事で出れなくて悔しかったことよりも、イベントがとてもベストな形で開催されて若い人も昔ながらの人も盛上がれた日になったことが自分のことの様に本当に嬉しかったです。オレ何もしてねーけど!
結局のところ、狭い土台でイベントをしたりバンドをしたり好きなものが同じ同士の人たちがいるのなら、そこで繋がらないと何も意味が無いと思うのです(OZもそのために始めましたし)と言うと「馴れ合いとか誰かと同じことをするのがインディーとは思わない」なんて言われそうですけど、マイノリティーな精神がインディーとも思わないのでむしろそういうのは本当にどうでも良くなってきました。何度も言っている気がしますが、「インディー」はジャンルじゃなくて「精神」だと思っています。捉え方によっては「身内」だとか「閉塞感」なんてイメージされるかもしれないので、個人的にはあまり使いたくない言葉でもあるのですが「バラバラに散らばってしまった事がまた一つの場所で何かを築いていく」様な、はたまた「そこで新しい話が、出来事が、人が、音楽が、シーンが生まれている」様なそんなイメージが浮かぶ言葉でもあるのかなあと思って、OZでも「Indie」という言葉は外さなかったし、そこで集まった人がいま日本のどのイベントよりも「インディー、インディー」言ってるとても恥ずかしい村になってたりして。
いまはもう無いんだけど、僕も当たり前だけどEscalator ~ Big Loveが大好きでその影響は計り知れないのだけれど、そのために「TOKYOコンプレックス」は学生時代死ぬほどあって、確かに東京でしか為し得ないことも有り得ないこともあるんだけど、どこも同じ小さなπの中で分散しててどこも同じ事しかしてないよ〜って言いながらどこでも同じ様なイベントをしているもんだから本当にそれは面白い訳が無くて!(笑) だからこそ、インディーが皆無になっていた関西で何処もやっていなかった事をしたから面白かったわけで・・・。
イベントをやる側もお客さんも音楽作ってる人でも、何か繋がる面白さというかそのイベントだから、そのイベントだったから面白かったっていうのを感じ取れることが増えたら良いなぁやりたいなぁそんなこと。


まぁ、最近は「こんなにもおもしろいイベントに自分が関われない」ことよりも「こんなにもおもしろいイベントがあっておもしろい人もいるのに自分では伝えることができない」ということが死ぬほど悔しいです。


zico

No comments:

Post a Comment

Followers

Blog Archive

Contributors